けいりん農園ウサギさんチームのブログ

香川県まんのう町の野良です。

シンカリオンと加速主義と四国新幹線と

 シンカリオン終わってしもうた。一説によると番組編成の都合による打切りらしい。そもそもが1年間の予定が好評につき延長していたという話なのでこれを打切りと言っていいのかどうかはしらぬ。だが、悲しい。コンテンツ消費力の落ちたおじさんにも優しい、ちょっとあざとい小ネタはいろいろあったけど、それはそれでおじさんを上手に転がす、楽しい作品だった。

 

 おじさんは出不精である。だから農家をやっている。東京より北に行ったのは、ガキの頃つくばの科学万博1回のみである。新幹線といえば、白いものという認識が強い。JR東日本が走らせてる緑や青や赤の新幹線の名前が覚えられるはずがない。この番組のおかげで全部覚えた。乗りたい。昨秋久しぶりに上京する機会があり、N700Aに乗った。ちょう楽しかった。

 

 4月からのキリン編はところどころ端折られたのだろう、説明不足の部分、本来ならこういうシーンもあったのではないかという想像がはたらく部分も多い。ブラックシンカリオンオーガがブラックナンバーズを引き連れて新宿の都庁を破壊した回、あのあと本来なら、「超進化研究所があるから攻撃されたのだ!」との都民の感情が渦巻く展開があったのではないか。要するにザンボット3である。その都民の感情をJSユーチューバーが見事に逆転させてこそ、九州新幹線開通CMオマージュのあのシーンはさらに映える。シンカリオンは放映開始時、おじさんたちから「明るいエヴァ」と呼ばれたものだった。ああ、ついでに言えばキトラルザス編ラストの東京駅中央迎撃システム、あそこでN700系各機は爆弾を積んで特攻させられるのではないかとおじさんはヒヤヒヤしていた。

 

 キリン編後半の早送り展開の中で、ヒトとキトラルザスの共存を目指すキリンと、対話を志向するハヤトは対立する。キリンの寄って立つところはテクノロジーの追求である。頭一つ抜きん出たテクノロジーで鉄道というプラットフォームを独占し、形はどうあれ、「ヒト」とキトラルザスが共に在る世界を作ろうとする。そこに国家という視点がないのは、都庁を破壊し、その後霞が関を襲おうとしたことからも分かる。これは言うならば、ニーチェ及びマルクスドゥルーズガタリ、ニック・ランドを経て今世紀になって具現化した加速主義である。ではキリンと手を結んだヒトである倉敷イズモはどうか。彼のセリフの端々に国というワードが出てくる。国と自らの会社と自らを同視する日本のシャチョさんそのものであろう。その息子である倉敷ヤクモはどうか。当初は官僚という立場から父親と同じ方向を向いていた彼は産業政策で国を作ろうと夢想する革新官僚であろう。しかし彼らが加速主義者と相容れないのは言うまでもない。ただ、倉敷イズモはキリンに霞が関まで襲わせるつもりだったのか。そこはもう少し語らせたかった。やはりキリン編は本来の尺で作り直すべきである。

 

 対するハヤト率いるチームシンカリオンはどうか。ブラックシンカリオンを含むチームシンカリオンと、ブラックリンカリオンオーガを分かつもの、それは適合率である。適合率はなんの指標か。それはJSユーチューバーによると物事を純粋に好きな度合いである。だから子どものほうが適合率が高い。それぞれの「好き」とその尊重、すなわち多様性である。そして、最終回のナノマシン増幅シーンで三原指導長がはっきりと口に出して言った説明的とも言えるセリフ

協力は人類が手に入れた進化の手段ってことなんだ…

 これは近時、社会心理学進化心理学、進化生物学、経済学、政治哲学、倫理学などなど学際的に論じられている、いわゆる「モラルの起源」そのものである。

 

 すなわち資本主義、技術至上主義を加速させることによって閉塞を打破し、新しい世界を作る加速主義と、多様性の尊重と協力を獲得したヒトとの対決なのである。*1対決の結果はネタバレとなるので各自確かめてほしい。

 

 さて、キリンと倉敷ヤクモによる、すべての鉄道を新幹線にする計画が明らかにされた際におじさんは思った。これで四国にも新幹線が通るのか、と。そもそもキリン編に現れた漆黒の新幹線は狭軌も走れるフリーゲージトレインだった。キトラルザスの誇る技術フリーゲージトレイン。バカにしてはいけない。日本はこれをいまだ実用化できていないのだ。ところで、四国新幹線が通る際、瀬戸大橋を利用するとすれば本州側の最後の駅は児島駅となる。児島駅倉敷市にある。

 

 現実世界の安倍政権誕生後、四国政財界のおじいさんたちは四国新幹線実現に向けて色めき立ちはじめた。少なくとも民主党政権よりは財政拡張的であろうと思われたからだ。ところが、財政拡大を行ったのは政権誕生より1年ほどの間で、その後は消費増税をはじめとする緊縮路線に転換した。財政拡張的な政策は選挙の前だけ散発的に行われるにとどまっている。四国新幹線など夢物語であろう。そもそも四国新幹線が通ったとしてなにがこの地にもたらされるのか。工事による公共事業の乗数効果は工事に人出がかかった前世紀に比べてはるかに低い。完成したころ、四国の人口はどれだけ減っているのか。それがさらにストローでちゅーちゅーと吸われるのではないか。

 

 話は変わる。おじさんの甥っ子の話である。昆虫が大好きで小学校の成績もいい。あるとき「おっさん」に将来の夢を語ってくれた。

昆虫学の先生になって「昆虫園」を作るんや。昆虫園っていうのは動物園みたいに…

 

 彼は「昆虫館」の存在を知らないのだ。だから独自概念「昆虫園」を創造した。四国には昆虫館がないのである。頭がよくても、インターネットが発達しても、どうしようもない壁はある。自然科学、博物学にこどものころから触れられない。田舎なら自然に触れられるじゃないかって?道標となる大人がいないとどうしようもないんだよ。放鳥コウノトリや放流ホタルにはしゃいでしまう大人が自然科学の道標となれるか。なれないでしょ。「大人と子どもがともに未来を守る」のがシンカリオンじゃないか。そう、四国に必要なのはキトラルザスの技術ではなく「多様な好き」の機会なのである。多様な好きと協力こそが人を成長させ、人類を進化させる。シンカリオンに登場する地方のこどもたちは多様な好きの表現者として描かれた。新幹線が通った地方の子どもたちだけが多様な好きを得られるのか。そうじゃないはずだ。だから地方に金をよこせ新幹線を通せとは言わない。そう言い続けて再分配を失敗し続けてきたのがこの国だから。

「すべてのヒトを紐付きじゃない補助金漬けに、すべてのヒトに学ぶ機会を」

これがなんとなく補助金漬けとなじられがちな農家のおじさんの現時点での答えだ。

 

 

 

 

モラルの起源――実験社会科学からの問い (岩波新書)

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*1:実際のヒトが獲得できたかどうかはともかく