けいりん農園ウサギさんチームのブログ

香川県まんのう町の野良です。

香川県ゲーム条例の本質は愛着理論の濫用による日本型福祉社会の強化

 

 

 

香川県ゲーム条例については様々な論点をはらんでおりますね。制定手続きとゲームおよびゲーム障害の論点については上の本に詳しい。わたしは(親もその対象に含めた)パターナリズムと民主主義を主なテーマに、下の本を補助線にしながら『地上』誌(家の光協会)の連載で書評を書きました。

 

 

 

 

本稿ではこれまであまり語られていないであろう論点について書こうと思います。まずは条文見てくださいね、条例の。法律や条例について論じるならば出発点は条文ですよ。

en3-jg.d1-law.com

 

本稿においてまず注目してもらいたいのは、条文中に「愛着」という法文ではあまりお目にかからない単語が4回も登場している点です。試しに日本国の憲法、法律、政令、省令、規則を「愛着」で全文検索してみたところ、ヒットしたのは6件でした。

 

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そのうち5件まではまちづくり系の法律です。ただ1件、「成育過程にある者及びその保護者並びに妊産婦に対し必要な成育医療等を切れ目なく提供するための施策の総合的な推進に関する法律」のみ、香川県ゲーム条例と同様の文脈で「愛着」という単語が出てきます。

 

elaws.e-gov.go.jp

「愛着」が登場するのは第十四条です。

 

第十四条 国及び地方公共団体は、国民が成育過程における心身の健康に関する知識並びに妊娠、出産及び育児並びにそれらを通じた成育過程にある者との科学的知見に基づく愛着の形成に関する知識を持つとともに、それらの知識を活用して成育過程にある者及び妊産婦の心身の健康の保持及び増進等に向けた取組が行われることを促進するため、成育過程にある者及び妊産婦の心身の健康等に関する教育(食育を含む。)並びに広報活動等を通じた当該取組に関する普及啓発その他の必要な施策を講ずるものとする。

 

わざわざ「科学的知見に基づく」愛着としているのは、愛着(アタッチメント)概念が拡大解釈や俗流心理学によって歪められがちだからでしょう。香川県ゲーム条例は大丈夫でしょうか。前文での愛着の使用例です。

 

加えて、子どものネット・ゲーム依存症対策においては、親子の信頼関係が形成される乳幼児期のみならず、子ども時代が愛情豊かに見守られることで、愛着が安定し、子どもの安心感や自己肯定感を高めることが重要であるとともに、社会全体で子どもがその成長段階において何事にも積極的にチャレンジし、活動の範囲を広げていけるようにネット・ゲーム依存症対策に取り組んでいかなければならない。

 

「親子の信頼関係が形成される乳幼児期」というのはまさに愛着理論がその対象とするところで、おおむね「科学的知見に基づく」といってよいのでしょう。しかしそこに続けて子ども時代をも含めているのは拡大解釈のおそれがあります。しかしゲーム・ネットのやりすぎが問題になるのは主に愛着理論の対象となる6ヶ月~2歳よりあとのことですからこのように書かねばならないのでしょう。

 

そこまでして愛着にこだわるのはなぜでしょうか。本条例制定過程において勉強会の講師や委員会の参考人として関わった精神科医岡田尊司愛着障害についての一般書を数多く持ちますが、批判も多く集めています。岡田は香川県出身でもあります。『ルポ・ゲーム条例』において本条例を議会事務局とともに起草したとされる大山県議が大きく影響を受けたとしても不思議ではありません。

 

余談にはなりますが、香川大学にはかつて岩月謙司という、生物学者にも関わらず愛着理論を拡大解釈した俗流心理学本で一斉を風靡した教員がおりました。彼は女性に対してカウンセリングと称してハラスメント行為を行った咎で刑事訴追され、その職とベストセラー作家という社会的地位を失うのですが、岩月の退場とほぼ同時に登場したのが岡田でありました。

 

本条例は端的に言いますと、スマホやゲームに子守をさせると子が病気になるぞと親に呪いをかけているわけです。かくして本条例は結局は親の責任を強調する構造になっています。

 

ところで第二次世界大戦後、西側先進国ではケインズ主義のもと、子育て、あるいは介護といった福祉にまつわる政策を国家が担っていく方向に世の中が進んでいったわけですが、70年代以降、英国において顕著だったように福祉国家は転機を迎えます。大きな政府から小さな政府へというやつです。本邦において福祉国家の転換をはかった政治家が大平正芳でした。大平もまた香川県出身です。

 

近年の再評価もあり、なんとなく大平ってハト派で素朴でいい人みたいなイメージ持ってる人が多いと思いますけど、一般消費税を最初に導入しようとしたのは大平ですからね。というわけで、消費増税が成ると宏池会系や財政均衡を重視する政治家は赤字国債残高の増大に悩んでいたという大平の墓前に報告に行ったりします。

 

そして大平による福祉国家の転換が日本型福祉社会です。英国や北欧風の「ゆりかごから墓場まで」という福祉国家を放棄して、国家ではなく社会が福祉を担うとしたのです。しかし日本型というところが曲者です。なにをもって日本型というか。終身雇用の男性と専業主婦のセットが子育てや介護の担い手になるというのが日本型なんだそうです。すなわち子育てや介護の直接的な担い手はもっぱら専業主婦です。まったくもって大平の負の遺産と言うべき政策ですが、大平を再評価する政治学の書籍などではあまり触れられません。大平再評価というのは清和会系の政権が続いたことに対するカウンターの意味があるのでしょうから臭いものには蓋をするに限ります。

 

こういった伝統的家族観のようなものは、旧統一教会日本会議などの宗教右派との関わりで論じられることも多く、自民党のなかでも清和会系のようなタカ派のイメージが強いかもしれませんが、制度に落とし込もうとしたのは宏池会中興の祖であり、ハト派、リベラル派などと呼ばれることもある大平でした。どこがリベラルなのかさっぱりわかりませんね。もちろんそのような家族観は伝統でもなんでもなく、高度経済成長期からのせいぜい2,30年間にだけ出現したものでした。ようするにジャパン・アズ・ナンバーワンなどと言われて調子こいてたのを福祉政策にまで敷衍しようとしたのが日本型福祉社会です。

 

伝統的家族観幻想についてはいろいろありますが、最近読んだものではこちらが面白い切り口でした。

 

 

日本型福祉社会についてはこちらが読みやすいでしょう。

 

 

 

ここで、愛着理論の雑な拡大と日本型福祉社会が非常に相性がいいことに気づきます。愛着理論の濫用で親に呪いをかけて、子育ての責任を大きくすることで公的支出を減らそうということです。香川県ゲーム条例でも学校や自治体の責務について書かれてはいますけれども、『ルポ・ゲーム条例』の後半部分で県内の精神科医が述べるように、県は決して依存症対策に必要な施策を打っていません。

 

ちょうどゲーム条例が話題になりはじめていた2019年にたまたま県のPTA組織の理事があたっていたのですが、幹部の皆さんが県議会に陳情を行った際の議事録が大変興味深い内容でした。応対したのは当時の県議会議長大山議員です。先にも述べましたが条例を議会事務局とともに起草したとされる人物ですね。大山議員がPTA連合会の幹部の前でした話というのは以下のような内容でした。

 

 




繰り返しになりますので説明はしませんが、こういう保守政治家はちょくちょくいます。ひょっとしたら香川県にはよそより少し数が多いのかもしれない。それこそまさに大平正芳負の遺産なのでしょう。しかし、そんな議員をトップ当選させてしまうのがわれわれ香川県民なのです。

 

 

 

 

 

 

シンカリオンと加速主義と四国新幹線と

 シンカリオン終わってしもうた。一説によると番組編成の都合による打切りらしい。そもそもが1年間の予定が好評につき延長していたという話なのでこれを打切りと言っていいのかどうかはしらぬ。だが、悲しい。コンテンツ消費力の落ちたおじさんにも優しい、ちょっとあざとい小ネタはいろいろあったけど、それはそれでおじさんを上手に転がす、楽しい作品だった。

 

 おじさんは出不精である。だから農家をやっている。東京より北に行ったのは、ガキの頃つくばの科学万博1回のみである。新幹線といえば、白いものという認識が強い。JR東日本が走らせてる緑や青や赤の新幹線の名前が覚えられるはずがない。この番組のおかげで全部覚えた。乗りたい。昨秋久しぶりに上京する機会があり、N700Aに乗った。ちょう楽しかった。

 

 4月からのキリン編はところどころ端折られたのだろう、説明不足の部分、本来ならこういうシーンもあったのではないかという想像がはたらく部分も多い。ブラックシンカリオンオーガがブラックナンバーズを引き連れて新宿の都庁を破壊した回、あのあと本来なら、「超進化研究所があるから攻撃されたのだ!」との都民の感情が渦巻く展開があったのではないか。要するにザンボット3である。その都民の感情をJSユーチューバーが見事に逆転させてこそ、九州新幹線開通CMオマージュのあのシーンはさらに映える。シンカリオンは放映開始時、おじさんたちから「明るいエヴァ」と呼ばれたものだった。ああ、ついでに言えばキトラルザス編ラストの東京駅中央迎撃システム、あそこでN700系各機は爆弾を積んで特攻させられるのではないかとおじさんはヒヤヒヤしていた。

 

 キリン編後半の早送り展開の中で、ヒトとキトラルザスの共存を目指すキリンと、対話を志向するハヤトは対立する。キリンの寄って立つところはテクノロジーの追求である。頭一つ抜きん出たテクノロジーで鉄道というプラットフォームを独占し、形はどうあれ、「ヒト」とキトラルザスが共に在る世界を作ろうとする。そこに国家という視点がないのは、都庁を破壊し、その後霞が関を襲おうとしたことからも分かる。これは言うならば、ニーチェ及びマルクスドゥルーズガタリ、ニック・ランドを経て今世紀になって具現化した加速主義である。ではキリンと手を結んだヒトである倉敷イズモはどうか。彼のセリフの端々に国というワードが出てくる。国と自らの会社と自らを同視する日本のシャチョさんそのものであろう。その息子である倉敷ヤクモはどうか。当初は官僚という立場から父親と同じ方向を向いていた彼は産業政策で国を作ろうと夢想する革新官僚であろう。しかし彼らが加速主義者と相容れないのは言うまでもない。ただ、倉敷イズモはキリンに霞が関まで襲わせるつもりだったのか。そこはもう少し語らせたかった。やはりキリン編は本来の尺で作り直すべきである。

 

 対するハヤト率いるチームシンカリオンはどうか。ブラックシンカリオンを含むチームシンカリオンと、ブラックリンカリオンオーガを分かつもの、それは適合率である。適合率はなんの指標か。それはJSユーチューバーによると物事を純粋に好きな度合いである。だから子どものほうが適合率が高い。それぞれの「好き」とその尊重、すなわち多様性である。そして、最終回のナノマシン増幅シーンで三原指導長がはっきりと口に出して言った説明的とも言えるセリフ

協力は人類が手に入れた進化の手段ってことなんだ…

 これは近時、社会心理学進化心理学、進化生物学、経済学、政治哲学、倫理学などなど学際的に論じられている、いわゆる「モラルの起源」そのものである。

 

 すなわち資本主義、技術至上主義を加速させることによって閉塞を打破し、新しい世界を作る加速主義と、多様性の尊重と協力を獲得したヒトとの対決なのである。*1対決の結果はネタバレとなるので各自確かめてほしい。

 

 さて、キリンと倉敷ヤクモによる、すべての鉄道を新幹線にする計画が明らかにされた際におじさんは思った。これで四国にも新幹線が通るのか、と。そもそもキリン編に現れた漆黒の新幹線は狭軌も走れるフリーゲージトレインだった。キトラルザスの誇る技術フリーゲージトレイン。バカにしてはいけない。日本はこれをいまだ実用化できていないのだ。ところで、四国新幹線が通る際、瀬戸大橋を利用するとすれば本州側の最後の駅は児島駅となる。児島駅倉敷市にある。

 

 現実世界の安倍政権誕生後、四国政財界のおじいさんたちは四国新幹線実現に向けて色めき立ちはじめた。少なくとも民主党政権よりは財政拡張的であろうと思われたからだ。ところが、財政拡大を行ったのは政権誕生より1年ほどの間で、その後は消費増税をはじめとする緊縮路線に転換した。財政拡張的な政策は選挙の前だけ散発的に行われるにとどまっている。四国新幹線など夢物語であろう。そもそも四国新幹線が通ったとしてなにがこの地にもたらされるのか。工事による公共事業の乗数効果は工事に人出がかかった前世紀に比べてはるかに低い。完成したころ、四国の人口はどれだけ減っているのか。それがさらにストローでちゅーちゅーと吸われるのではないか。

 

 話は変わる。おじさんの甥っ子の話である。昆虫が大好きで小学校の成績もいい。あるとき「おっさん」に将来の夢を語ってくれた。

昆虫学の先生になって「昆虫園」を作るんや。昆虫園っていうのは動物園みたいに…

 

 彼は「昆虫館」の存在を知らないのだ。だから独自概念「昆虫園」を創造した。四国には昆虫館がないのである。頭がよくても、インターネットが発達しても、どうしようもない壁はある。自然科学、博物学にこどものころから触れられない。田舎なら自然に触れられるじゃないかって?道標となる大人がいないとどうしようもないんだよ。放鳥コウノトリや放流ホタルにはしゃいでしまう大人が自然科学の道標となれるか。なれないでしょ。「大人と子どもがともに未来を守る」のがシンカリオンじゃないか。そう、四国に必要なのはキトラルザスの技術ではなく「多様な好き」の機会なのである。多様な好きと協力こそが人を成長させ、人類を進化させる。シンカリオンに登場する地方のこどもたちは多様な好きの表現者として描かれた。新幹線が通った地方の子どもたちだけが多様な好きを得られるのか。そうじゃないはずだ。だから地方に金をよこせ新幹線を通せとは言わない。そう言い続けて再分配を失敗し続けてきたのがこの国だから。

「すべてのヒトを紐付きじゃない補助金漬けに、すべてのヒトに学ぶ機会を」

これがなんとなく補助金漬けとなじられがちな農家のおじさんの現時点での答えだ。

 

 

 

 

モラルの起源――実験社会科学からの問い (岩波新書)

モラルの起源――実験社会科学からの問い (岩波新書)

 

 

 

 

 

 

 

 

*1:実際のヒトが獲得できたかどうかはともかく

土壌医が教える 本当に気持ちのいい施肥X

って、言いたかっただけ。

 

 おかげさまで今年の試験に合格して土壌医になりました。

 とは言え若輩で経験も浅く、家庭菜園や学校菜園のかかりつけ医とか、簡単な施肥設計、生育診断くらいしかできんなあと日々勉強。そういや思い出した、マルチ張ってブロッコリーやりたいから施肥量教えれ、って以前群青色んとこで若い人に単刀直入に聞かれたことがあるんですけど、その圃場の土質も土性も前作も残肥の量も、あと品種も知らんのにそんな無責任なことできないんよ。施肥に決まった量なんてないのよ。JAとかの栽培資料見てみなよ。たいてい施肥(例)って書いてるよ。施肥量は自分で諸要素を勘案して決めるんよ。そんなおもろいこと他人に任せるのももったいないし、土性の違う先進地区の真似して生育障害出してもあほみたい。残肥、雨量、品種特性、労力などなどを自分の頭でように考えて低コストで過不足のない量を施し、いいものがいい銭になったら、そう、それが本当に気持ちのいい施肥X(セヒエックス)。

 本当に気持ちのいい施肥X(セヒエックス)のやり方教えようか。経験。分厚い基礎の勉強。経験には日数が要るけど、勉強はちゃんとやれば効果が早い。フワフワの基礎の上で自由にぎっこんばったんできますか。できません。土壌医2級でも3級でも受けようっていう人は相談に乗ります。勉強しようで。ほんま。「分かる」が銭になるの楽しいよ。

  

 

 

この図案が交通安全ポスターコンクールの一次選考に落ちた

 

草やわらの野焼きは、現在の農業技術や社会通念を法で許容される要件にちゃんと当てはめて、ガイドラインを設定するなり、条例でより地域の実情にあった基準を設定するなりせんといかんと思いますよ。そういうことをできるのがかしこい住民っていうんじゃないでしょうか。住環境問題なんだから。苦情のたびに告知放送しても、「誰それさんもやっとるでないか」でおわり。この社会に規範などなく、自分だけが馬鹿を見ることがあってはならないという素朴な感情の痰壺がこの社会であります。そこから生まれるのが、みんなで足を引っ張り合って貧乏になる緊縮主義です。

野焼きの風景を田舎の風物詩のようにフェイスブックにアップしては、真っ赤な顔のアイコンを集めてる議員さんもいてますね。うちも、わしのおらんときを見計らって90のばあさんが草焼いてるからえらそうなことは言えぬ。え、交通安全ポスターじゃなかったのかって?違うよ、交通安全ポスターに見せかけて他の問題を啓発するポスターだよ。切れ味鋭いナバナ部会長でもある交通安全母の会会長JTさんにはお見通しであったのでしょう。

新年。何がめでたい

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一昨年全国育樹祭があって、今度天皇になる人が来るってんで、慌てて芝を張り替えて整備した町内の県立森林公園なんですけど、今はすっかりイノシシの遊び場です。指定管理の駄賃が安いんでしょうか。おかき屋さんに相談したほうがいいのでしょうか。

 

緊縮を憎んで人を憎まず。

 

こういうときはこう唱えて心を落ち着かせるのです。

 

manno-himawarioil.shop

 

かがわ県産品コンクールの最優秀賞のアレに「ガンの抑制効果が期待できる」っていうのも緊縮主義のたまものです。余裕がなければ表示法規すら勉強できません。余裕がなければジモトセイザイカイの内輪ノリでなんとか盛り上げようとするしかありません。余裕がなければ、それをチェックすることもできません。

 

近県で行われる、農業関係のシンポジウムや研究成果発表会に冷やかしにでかけることが多いのですが、香川県職ほんまに少ない。出張費が出ないんだそうです。現代アートでごまかしながら、あほうになっていくしかないのでしょうか。せやせや、「ガンの抑制効果」もメディア・アートということにしてしまいましょう。やったー。

 

下り坂を そろそろと下る 車椅子

『原発事故と「食」』とわしと社会

 今日も今日とて暇を見つけてはこの前の暴風で吹っ飛んだトンネルの復旧作業をしとったんよ。来週から温うなるかと思えば霜ピンチが3日連続やきんな。風の通り道で支柱やマルチまで吹っ飛んだスイートコーンには不織布かけてあるだけなんやけど今朝の霜キツかったな。さあ、あと2日、どれくらい生き残るかねえ。
 
 この風ほんまいろんなもん飛ばしたり破いたりしてヒドいんやけど、ひとつええこともした。見るたびにビミョーな気持ちになってた産直市の幟を飛ばしてくれた。こんなん。

「地元香川県産だから 安心安全」

 これなあ、そしたら裏を返せば香川県産以外は不安or危険なんかっちゅうことにならんかえ。わしは産直だけでなしに県外の市場向けもやっりょるけど、特に作業に区別をつけるわけもない。

 それは意地悪な見方としてもやな、そういう根拠のない身内びいき、あるいは顔が見えるから安心(面が割れてたら悪いことでけへんやろ)みたいなんはやっぱりすかんのよ。結局は不信が原則で、信頼は例外って言うわけやんか。

 そうやってビミョーとかすかんとか言うてちょっと気晴らしできるんは平時だからであって、なんらかのきっかけで牙を剥いた不信はほんま恐ろしい。食べものを通して見る東京電力福島第一原子力発電所の事故とはそういうものやった。そしてそれはまだ続いとる。

 原発事故後の品目ごとの福島県の農水産物の価格決定メカニズムを丁寧に解き明かす。もつれた糸をほどくためのサイエンスコミュニケーション/リスクコミュニケーション/レギュラトリーサイエンス/社会心理学の実践の数々。わしも今年こそ「かめむしラボ」やろう。著者も深く関わった柏市の実践は、「地元だから安心安全」がくるっとひっくり返った話やきんな。あの幟作った人にはいっぺんちゃんと読んでもらいたいわ。

みんなで決めた「安心」のかたち――ポスト3.11の「地産地消」をさがした柏の一年

みんなで決めた「安心」のかたち――ポスト3.11の「地産地消」をさがした柏の一年

 それでも最後に残るこの社会の不特定多数に対する信頼の低さ。すぐに内輪とそれ以外に線を引き、内はべったり安心し、外にはナンダオマエハ。そういうのがはっきり現れるのがSNS上の分断でもあり。決して論点を切り分けて議論することなく、反、反反、反反反、反反反反の無限地獄。代理戦争はしちゃいけない。わしがそれにはっきり気づいたのは、上の子がまだベビーカーに乗っていた頃、電車内のベビーカーの扱いについて口汚く罵り合うあんまし関係のなさげな人たちを見たときかな。当事者性うんぬんもあるけど、けんかをやめて〜ふたりを止めて〜味もある。p200〜201の宿題受け取りました。


けんかをやめて 河合奈保子 - YouTube


 わしって、カメムシの同定は熱心にしても人の顔と名前一致させる気ゼロ、コミュニケーション苦手、特に人の輪に入るの苦手やきん、そういう社会正直つらいんよ。その点、お互いに名前も所属も知ろうともせず、違う車券を持ちながら目の前のレースにあーだこーだ盛り上がれる競輪場しゅき。そんなわけで山岸俊男さんの信頼研究とか、そこから発展させて近代の倫理を再構築しようとする松尾匡さんの議論なんかを精出して読みよるわけなんやけど、これからもずっと自分の食い扶持とも掛け合わせながらそういうことを考え続けていくんやろうなということを再確認させてもろたのでした。

この暴風がひどい2018

 風が強なるでっていうのは昨日からゆっとったきん、夕方にはトンネルの杭を打ちなおしたりして万全な体制にしとった。夜が更けても雨はそこそこ降るものの風は吹いてこん。寝た。ドン。4時。あ、これいかんぶんや。目がさえて眠れん。もひとつドン。プラスチックがなにかに強くぶつかる音。杭が抜けて支柱に当たったな。わしの枕元から5mと離れてないとこにスイートコーンの入ったトンネルの端があるきんな。頭の中は、最悪の事態とそうでもないよをいったりきたりしながら、そして明るくなった。

 トンネルどこにもない。支柱も半分くらい崩壊しとる。うきがけもほとんど流れてしもうとる。ハウスは?天井くぱあ。ありゃあ。しゃあないな。とりあえず、風がさわぐ夜は~うちの畑に帰りたくないよ~っていう被覆資材を無理やり畑に戻して収穫へ。夜温も猛烈に高かったきんな。収穫せんとブロッコリー咲いてしまう。収穫終わった頃には風も収まっとるやろ。

 収まってない。正確には収穫行ってる間は割りと収まってたんやけど、ぶり返した。帽子とマスクが飛ばされた。またへへいへいと出かけようとする被覆資材を抱えてうずくまるしかない時間帯がしばらく。無理やり丸めて事務所でうつらうつらしながらなにもかもがまんどくさくなりかけてたら犬の散歩してたまさとっさんがおるんなー言うて大きな声でやってきた。なにごとかと思ったら、ハウスの屋根が小学校行っとるでとな。道路に出てみると巨大な凧が学校の防風ネットにべったり貼りついとる。ありゃあ。まさとっさんが勢い良くお知らせしてくれたのにのんびりもでけへん。手袋履いて小走りに小学校へ。凧に乗って一緒に飛ばされんように少しずつ丸めながら回収した。ほんで帰ってみるとオヤジが言うんやが。これうちのちゃうって。うちのヒラヒラはオヤジが切除しておしまいしとるとか。ああ、ご近所でもいっぱい天井くぱあしてたなあ。まあええか。誰かしまいせんと小学校も困るやろう。走ったらちょっと元気になった。まさとっさんありがとう。このスカイコート5に見覚えのある人は取りに来てな。